楽しいことがあり過ぎる

楽しいことがあり過ぎる

世の中には、楽しいことがまだまだたくさんあるみたいですよ。

【今週のお題】おばあちゃんは、本当におじいちゃんのことが大好きだったのだと思う。

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」。

母方の祖父母について書きました。

 

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祖父は私が生まれる前に肺の手術をしていたので、私の記憶の中の彼は常に息苦しそうに弱々しく、か細い声で話す物静かな人といった印象だった。母が言うには、もともとはとても厳しい父親で、極稀に怒鳴ることもあったらしい。ちなみに兄は、幼い頃にふざけてドアガラスを割り、怒鳴られたことがあるそうだ。

晩年は認知症でほぼ寝たきりとなり、私たち孫はおろか最期には祖母の顔まで忘れがちなことが多かった。結局、病院に入院し延命のための手術を受けた結果、話すことも食事を摂ることもできなくなり、静かに息を引き取った。

母は「あの延命治療は正しかったのか…」と今でも後悔しているようだ。もちろん助かると信じて行った処置だったけど、結果的に祖父は人間らしい人生の終え方をした、とは言い難かったように思う。だからこそ祖母の最期には延命処置はせずに、そのまま見送った。「おじいちゃんのようにはなって欲しくない」と言っていた。

 

 

 

祖父が痴呆になってから入院するまでの間、祖母はその介護でとても大変そうだった。とにかく明るくておしゃべりをするのが大好きだった祖母だけど、祖父の介護が始まってからは「嫌になっちゃう」と母相手に愚痴をこぼす彼女を何度も目にした。週に2回程度デイサービスをお願いしていたが、それ以外は全て祖母が世話をしていた。俗に言う老老介護だ。

夜中に起き出すこともあったし、お漏らしをすることもあったし、食事中に突然「あなたは誰ですか?」と言われたこともあったらしい。「情けなくなる」と言っていた。

 

そんな祖母の様子を気遣って、母は以前より頻繁に祖父母の家に出向くようになっていた。気が向くと私も一緒について行った。祖母は、待ってましたと言わんばかりに母や私相手に祖父への不満をこぼしてきた。私も子ども心に「これはしんどいだろうなぁ…」と祖母に同情していた。

  

そうして数年が経ち、祖父は入院し延命手術の末、亡くなった。もちろん悲しかったけれど、介護や病院通いを続けていた祖母の負担を考えると複雑な気持ちもあった。

 

祖父の亡骸を祖父母の暮らす家に連れて帰ると、ご近所さんが御焼香のために訪ねてきてくれた。物静かな祖父と違い、祖母はご近所付き合いも活発にしていたので、代わる代わる訪ねてくるご近所さんと祖父の話や世間話をたくさんしていた。時には涙も流していたけど、概ね元気そうに会話していた。

そういった「人が死んだ時にやるであろうあれこれ」を終え、納棺の儀式となった。納棺士さんから納棺に際しての様々な説明を受け、「最期のお別れをどうぞ」と促された。私たち孫や、娘である母、息子である叔父がお別れをし、祖母の順番となった。こういう時、自然と故人の身近な人がトリを務めるのって何となく自然と「そういった流れ」になるものだ。誰が言った訳でもないのに孫から順番にお別れを告げ、最後は祖母となっていた。

 

祖母は、祖父の亡骸の横に座るなり「おとうさん」と言って、わんわん泣き出してしまった。いつも私達の前では「おじいちゃん」と呼んでいたのに、その時は祖父のお腹あたりに突っ伏して「おとうさん」と言いながら大声で泣いていた。あんなに気丈に振舞っていた祖母が、祖父との別れを本当に本当に悲しんでいた。まともに歩けなくなって、お風呂にもトイレにも一人では行けなくなって、夜中に突然起き出してお漏らししたり、自分の奥さんの顔すら忘れてしまって、最後は話すこともできなくなって、ぶっちゃけて言えばめちゃめちゃ祖母の負担になっていただろう祖父との別れを心から悲しんでいるのだなぁ…と思える泣き方だった。そして、祖母は本当に祖父を好きで好きで大好きだったんだろう、と思えた。それこそ、入院して延命治療をしてからの祖父は「いつ最期が来てもおかしくない」といった状況だったのに、それでも、祖母にとって祖父との別れは、あんなにわんわんと泣いてしまうくらい悲しくて仕方ないことだったのだと思う。

 

その日の夜、祖母も寝てしまった居間で、母と兄とテレビを見ながら雑談していた。多分、深夜バラエティを見ていたと思う。祖父や祖母の話をしていた訳でもないのに、突然、兄が「おばあちゃんはおじいちゃんのことが本当に好きだったんだな。すごいよな、何十年も一緒にいるのに今でも本当に好きなんだな」と言った。兄の気持ちが何となく分かる気がした。夫婦というものは長年連れ添っていると、その愛の形も、より穏やかな愛に変わると思っていた。なんと言うか「男女の愛」というよりは「家族の愛」といったものに変わると思っていた。だけど、祖父の亡骸に突っ伏して大声で泣く祖母からは、祖父という一人の男性に対する愛が溢れているように思えたのだ。そして、きっと兄も同じような感覚を覚えたのだろう。

 

 

祖父が亡くなってから祖母が亡くなるまでの数年、祖母は毎朝、仏壇に朝の挨拶と夜の挨拶を欠かしていなかったようだ。夏休みや年末年始に祖母宅に泊まりに行くと、ご飯や果物、お茶菓子を供えながら仏壇に話しかける祖母を何度も見た。外出先から帰宅したときも「おじいちゃん帰ってきたよ」と、まだ玄関にいるうちから大声で仏壇のある部屋に声を掛けていた。たまに祖母が泊まりにくることがある際も「もっと泊まっていけばいいのに」と私や母が促すと、「でも、おじいちゃんが寂しがるから」と言って帰っていった。それでもお盆にはお墓におじいちゃんを迎えに行くのだから、何が何やらって感じだ。家に居るときも祖父に話しかけ、お墓に行っても「おじいちゃん、来たよ」と話しかける。もういなくなってしまった祖父に話しかける祖母は、故人に話しかけると言うよりは、今でも普通に祖父がその場所にいるような雰囲気で話しかけていた。

 

 

どちらかと言うと「元気な老人」だった祖母も、自転車で転倒し大腿骨を骨折してから身体の不調を訴えるようになり、最期は食べられなくなり、皮と骨だけのようになって亡くなってしまった。娘である母も、息子である叔父も、延命措置は望まなかった。幸いにも、亡くなる日の夕方に祖母を見舞っていた私は、死に目にこそ立ち会えなかったが「これでおばあちゃんに会えるのは最後になるかもしれないな」と思ってしまうぐらいの祖母には会えた。何となく見舞いに行こうと思って会社帰りに立ち寄ったのだけど、思えばあれは虫の知らせだったのだろうと思う。

 

祖母が亡くなって、母はすごく悲しんでいた。

それでも「やっとおじいちゃんのところにいったね」と言っていた。ドラマでよく見るようなベタ過ぎる台詞だな…とは思ったけど、でも、私もそう思った。

 

 

私の父や母は、お互いを失った時、どうなるだろうか。

祖父と祖母の別れを見て以来、両親の最期を考えると必ず同時に祖父母の最期を思い出すようになった。別れはとても悲しいことだけれど、両親の一方がもう一方を失ったときには、祖父母のように愛し合ってきた「ただの男とただの女」になってくれたら良いなぁ、と思う。

 

 

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明日から三連休です。台風、やだなぁ……

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