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hide 20th Memorial Project 映画『HURRY GO ROUND』感想

公開日当日、友人の結婚式後に映画『HURRY GO ROUND』を観てきた。

オタク魂丸出しでムビチケ1枚と前売券1枚を事前購入していたので、後日、仕事帰りにも観た。今回はこの映画の感想を書こうと思う。

 

 

映画のあらすじはこちら。

1998年5月に33歳の若さで他界した「X JAPAN」のギタリスト、hideの没後20年を機に、いまなお多くのファンから愛され続けているhideの最期の足取りをたどっていくドキュメンタリー。「ちはやふる」「君の膵臓をたべたい」などで活躍する若手俳優矢本悠馬がナビゲーター役を務める。神奈川県三浦市にあるhideの墓。墓石には事実上hideの最後の楽曲となった「HURRY GO ROUND」の歌詞が刻まれている。hideが生まれ育った横須賀、亡くなる3カ月前に滞在していたアメリカ・ロサンゼルスなどhideに縁のある地を回るほか、YOSHIKIをはじめhideをよく知る人物を訪ね、亡くなる直前のhideの実像に迫っていく。亡くなる前日のhideの映像も含まれている。監督はテレビドキュメンタリー、バラエティ番組などを数多く手がけ、本作が映画初監督作となる石川智徹。

 

観終わって最初に感じたことは「思ったより大丈夫だったな」だった。

hideのファンにとって、その『死』について考えを巡らせることは結構ツラい作業だ。そして、同じファンと言えど、その最期に対しての想いは様々だろう。実際、今回の映画公開がアナウンスされた直後は、その内容や出演者に対してネガティブな意見も目にした。というか、やはり当人がいない状況で彼に関する様々な作品が発表されると、その度に様々な意見が飛び交う。これはもう避けられないことだろう。かくいうわたしも予告トレーラーや公式サイトの作品情報を目にした当初は「なんか嫌だなぁ……」と思った。何よりも引っかかったのが“彼の死を『HURRY GO ROUND』の詞とともに紐解いていく”といった作品構成だった。

『HURRY GO ROUND』はhideの死後にhide with spread beaver名義でリリースされた作品である。その歌詞の内容から、リリース当時は彼の死と関連付けて語られることが多かった、らしい。しかし、わたしはこの楽曲にそういった意味での深読みをしていない。というかそれ以外にも、hideが残した作品に対してそれらの深読みをすることを避けている。「何故か」と問われれば色々とあるのだが、とにかく、hideの死と絡めて彼の作品を語ることはしたくないのだ。

そんな考えのわたしなので今回の映画のコンセプトも「なんか嫌だなぁ……」になった訳です。

 

さて、作品はアーティスト『hide』についての知識がほぼ皆無に等しい俳優 矢本悠馬がhideが亡くなる直前3ヶ月の行動を追う、といったストーリーになっており、hideの知識に乏しい矢本に監督である石川智徹が様々な情報を与えつつ次の展開へと進んでいく、といった構成だった。「なぜナビゲーターが矢本悠馬なのか」といった導入はバスッとすっ飛ばし、映画は三浦海岸にあるhideのお墓を訪ねる矢本の姿から始まる。このすっ飛ばし具合に「おぉ……いきなり墓前スタートかい」とやや驚いた。墓石に彫られている『HURRY GO ROUND』の歌詞に目を留めた彼に、石川監督はその歌詞からhideの死についての様々な憶測がある旨を伝える。それはつまり、hideの死が『事故』なのか『自殺』なのか、ということである。

 

hideについて語られるとき、もはや彼の『死』を語らずに済まされることはない。そして、その際に必ずと言っていいほど築地本願寺で執り行われた葬儀(+絶叫する当時のファン)の映像も流れる。本作でもご多分に漏れず葬儀の映像が流れた。わたしはこの葬儀の映像が苦手だ。hideのファンになってから、ネット上に転がっている彼の動画を散々見漁ってきたが、それでもその「死」に主軸を置いているであろう映像には極力手を出さないように避けてきた。なんというか、直視したくない現実を突きつけられる感じに耐えられないからだ。hideが亡くなっていることは理解しているが、だからといって全てを受け入れられるほどの耐性は付いていない。今年は死後20年という節目ということもあり、hideの特集を目にする機会も多いが、そういった場面でも葬儀の映像が流れそうな気配を感じたときはサッとチャンネルを変えるなり録画物なら早送りをするなりで避けてきた。なので、この葬儀映像が流れるシーンは結構キツかった。正直なところ「もう葬儀の映像を流すのはやめてくれないか」と思ってしまう。どうせ無理だろうけど……。

しかし、そんな風に悲しい映像ばかりではなかった。ストーリー序盤、hideの資料映像がばんばん流れるシーンがある。それがもうとてつもなく素晴らしかった。映像の中のhideはどれもこれもとても生き生きとしていて、楽しそうで、人間味に溢れていた。「これぞわたしが虜になったhideだ!!!!」と歓喜した。そりゃもうニヤニヤしてしまう表情を止めることもできずスクリーンに全神経を集中させた。それほどに素晴らしかった。「あの数々の映像を見られただけで、この映画を観に来た価値があった」と思えるほどに。特に甥っ子を可愛がるhideの映像には、あまりの衝撃に涙が出てしまった。はあぁぁぁぁぁぁぁぁ……これがギャップ萌えでしょうか。

 

ストーリー中盤は、hideが多くの楽曲を制作してきたLAを訪ね、彼の足跡を辿るシーン。彼が住んでいたアパートや行きつけのレストランやショップ、ピンクスパイダーのPV撮影地を巡る矢本の興奮具合は、さながら聖地巡礼をするいちファンのそれとも思え微笑ましかった。と同時に、矢本以上に興奮してしまう自分自身の感情を抑えることに疲弊した。自室なら何度も繰り返し見返したいシーンばかりだった。

 

作中では生前のhideを知る関係者のインタビューも、物語を展開していく上で大きな役割を担っている。当時hideのパーソナルマネージャーを務めていた実弟、セキュリティスタッフ、レコード会社のスタッフが、生前のhideが行きつけにしていたバーでお店のオーナーと共に亡くなる前夜について回顧するといったシーンがあったのだが、これがとんでもなかった。hideが亡くなった当時の状況がここまで詳細に語られたのは恐らく初めてのことだと思う。本作の中で最もヘビーな部分は間違いなくこのシーンであった。あの人達にとって、彼の死は未だに鮮明に残っている出来事なのだろうか。計り知れない痛みを感じた。そしてやり切れない思いも。バーでのインタビューを終えた矢本が「hideの死に対して悲しさとともに怒りを感じているようだった」と語っていたのが印象的だった。きっとhideの最期に関しては多くの人が悲しみを抱えているし、それと同じくらい怒りも覚えていると思う。それはきっとファンの中にもある感情ではないだろうか。わたし自身、hideに対しての「なんで死んでしまったのか」という怒りにも似た疑問は、この先も決して消すことができないだろう。

 

そういえばこの関係者インタビューでロッキング・オン山崎洋一郎がhideについて語っていた内容が個人的には嬉しかった。そもそも彼が編集長を務める『ROCKIN'ON JAPAN』という雑誌はどちらかというとビジュアル系とは距離をとっている印象のある音楽専門誌である(あくまで主観)。 だからこそ、わたしが沼落ちしてからこれまでにhide関連の雑誌書籍類を収集していく過程で、hideが亡くなった当時『ROCKIN'ON JAPAN』で表紙巻頭の追悼記事が組まれたことを知ったとき少々驚いた。というか、そもそも当初からhide特集は決まっていて、そのタイミングで本人が亡くなってしまった、ということらしいのだが。「ビジュアル系とされるhideの特集が組まれるほどの距離感だったのかぁ……」と意外に感じたのだ。 しかし、今回の映画の中で山崎さん自身が語ってくれたhideへの想いを知ることでその疑問は払拭された。山崎さんはインタビュー冒頭に「当時の僕はX JAPANにはあまり詳しくなかったけれど、ソロアーティストhideという人には音楽に対しての考え方で大きなシンパシーを感じていた」 といった趣旨の発言をした。ズバリ、だ。わたしの疑問に一発で答えてくれた。そうなのだ、hideという人は何よりも音楽を愛していた人なのだ。いや、音楽を生業としているのだから当然といえば当然だろうし、他と比べる基準も持ち合わせていないわたしが力説しても説得力はゼロに等しいのだけど、間違いなくhideはとてつもなく音楽を愛していた人だった。それはもう当時のインタビューやらラジオやら彼自身のソロワークスを追っていっても感じられるほどに「まじでこの人って音楽大好きなんだな。音楽を愛しまくっているんだな」とその想いがそこかしこから溢れているのだ。だってインディーズバンドを世に知らしめるために自らレーベル立ち上げちゃったりしてるんですよ。音楽への愛がすごいな。

山崎さんは、当時のhideについて「彼は閉塞的になっていた日本の音楽業界に、世界で巻き起こっている新しい音楽を引き入れたいと思っていた。自らの才能や発信力、その知名度を利用して、素晴らしい音楽を日本に取り込みたいと思っていた」と語っている。そうなのだ、hideは音楽を愛していた。音楽のチカラを信じていた。そして、自分が素晴らしいと感じた音楽を多くのファンにも知ってほしい・届けたい、と思っていた。自分が少年期に音楽から受けた恩恵を、自らの才能や知名度を使って還元したいと考えていた、はすだ。そういった音楽への受け皿の大きさに山崎さんは共感していたらしかった。だからこそ『ROCKIN'ON JAPAN』誌上でソロアーティスト hideの特集を予定していたのかもしれない。そして山崎さんは『HURRY GO ROUND』の歌詞についても自らの考えを述べた。それは『HURRY GO ROUND』という楽曲は彼の遺書といった意味合いを持っている作品ではない、という旨の発言だった。これがねぇ、とても良かった。何か分からないけれど、この山崎さんの発言が映画の終盤で飛び出したことが、とても良かったと感じた。

 

こうして様々な関係者へのインタビューや足跡を辿る旅を経てのエンディング、矢本は「こうして色々とhideさんの死についてのことを辿ってきて、僕自身、今は正直どうでもいいなって思っている。当時はhideを知らなかった僕も、今、こうしてhideの作品に巡り会えた。今はいないけど、作品が残っている、世界のどこかでこうしてhideの残した作品に巡り会えている人がいる。それでいい。」といった結論を導き出した。

 

……いやいやいやいや、凄くないですか!?この結論。めっちゃ潔くないですか?スカッとしたよ、わたし。

作品冒頭で『自殺?』『事故?』とかメモに書き出してファンが抱え続けている複雑な感情をめちゃめちゃ煽ってきてたのに*1、この結論である。でもねぇそうなんだよ、どうでもいいんだよ。いや本当はどうでも良くないけど、でも、hideの死を扱ったメディアを目にするたびに「もっと他に見てほしいものいっぱいあるんですけど!?」って思っちゃうんだよ。hideの死よりも、hideの素晴らしい楽曲を、作品を見てくれよ!音楽を聴いてくれよ!!って思うんだよ、わたしは。その気持ちを代弁しくれたよ矢本くん!(思わず「くん」呼び)

彼のあの発言があったから、観賞後の感想も冒頭で述べた「思ったより大丈夫だったな」に落ち着いたのだと思う。

 

感想まとめ

結局『hideの死因が何であるか』という問いには明確な答えを出さなかった本作。というか答えも何も、真相はhideしか知らないから明かしようがないのだろうけど。それでも未公開映像だったり、関係者の貴重なインタビューだったり(わたしの場合は主に山崎洋一郎の発言)でhideの新たなことを知ることができ、「観て良かった」と思えた。「感動した」とか「こんな風に感じた」とか、そういった類いのものではないけれど、単純に『hideのファンでいる中で、知りたかった一面を知ることができた資料』のような立ち位置としては観て良かったなぁと思う。hideの知識に乏しい矢本悠馬がナビゲーターを務めたことは賛否あったようだけど、わたしにとっては丁度よい距離感だった。だってきっとhideのファンが同じような足跡を辿る旅とかしたら、めちゃめちゃヘビーになる。想いが大きければ大きいほど、あらゆるものに感情移入しちゃってめちゃめちゃ思っ苦しい雰囲気の仕上がりになってしまうと思う。その点、彼のようなフラットな状態の人が疑問を追うことで、当時を知る人なら躊躇してしまうようなことにも突っ込んでいくことができたりしたのではないだろうか。それが気に食わないって方がいたなら仕方ないけど……。ただ、こんなことを言っちゃなんだが、そもそもこの手の映画はhideのファンである人が観客の大多数を占めるであろう作品なので、そこで敢えて知識皆無の俳優をキャスティングにぶっ込んじゃうのは出演者が可哀想ではあるよなぁとも思う。だって一部界隈で確実に叩かれちゃうであろうことは目に見えてるし……。個人的にはhideの所属事務所から届けられた数々の映像を観終えた矢本が「ピンクの髪にしたくなりました。ってことは僕がhideさんのファンになっちゃってるってことなんでしょうね。だから手っ取り早く髪型とかファッションから真似したくなった」的な発言をしたことに「いいぞいいぞ」と高まった。hideの素晴らしさが誰かに伝わることはとても喜ばしいことである。それとともに、矢本は恐らく我々が目にしたことがない貴重映像を観たのだろうなぁ……と羨ましくもなった。ガメついオタク根性的には、あの事務所から届けられた無数のダンボール箱の中身がただひたすらに気になって仕方ない。全部見せてくれ!!!!と強く思う。

 

後日談

後日談、というほど大層なものでもないのだけど、このタイミングなので。

映画を観た数日後、例によってネットで買った音楽雑誌のバックナンバーが届いた。その雑誌に掲載されていたHIDEのインタビューに「おお!」と思ったので一部抜粋しておこうと思う。

H:絶対的に自信があるのは、自分が面白いと思うことを他人が聴いて、面白いと思わないはずがないっていうこと。それはもう単純なことで、たとえば、この夏までに作ったテープを、他人というか、家に来た友達に聴かせてて面白がられるということが、俺には一番楽しいことなんであって、だから全部がそういう次元なの。そういう次元のものが、メジャーを通じて、枚数出て、ホントに自分の全然知らない人がそれを聴いて面白いと思わないわけがない。もし面白くないと思ったら、その人とは相まみえられない(笑)、それだけのことかなぁと思う。

(中略)

眼の前を流れてるたくさんの中からHIDEに“コレだ!”と思ってもらえるものって、どういった感覚のものなんですか?

H:皮膚感覚だと思うけどな。単純に“鳥肌が立っちゃった”っていうもの。だけど、なんで鳥肌立っちゃったのかっていう追求はしたくないの。追求すると壊れちゃうの。たとえばさ、子供の頃に聴いて初めてショックを受けたレコードなんていうのに対して当然その頃はそんな追求なんてしないじゃない。だけど、今も同じ感覚で聴けるレコードっていうのはやっぱりあるんだよね。もちろん、今になってマテリアルとして追求すれば“ああ、ここがこうなって、あれがこうで…”とかわかっちゃうけども、その人のやってる精神性とかを、俺は別に、あんまり見たくないの。たとえば、その人のインタビューは読物として読むけど、それとその人の精神とかをあんまりゴチャゴチャにしたくないんだよね。だって壊れちゃうもん。ただ、そういうふうに思ったときの自分は、その感覚は、大事にしなくちゃいけないけど、それを把握したくはないの。だってそれを把握しちゃったら、俺、やっぱりサンプリング世代だから、すごい産業マシーンになっちゃうと思うからね。そこまであざとくなれないんじゃないかなぁ…、自己弁護的な良い言葉で言えばね。

こんなにも音楽に対して誠実であろうとする人は、やっぱり音楽をネガティブな手段にしないと思うんだよなぁ……とか思えて「やっぱりわたしの考えは間違ってなかった」と妙に自信を持った。

ま、ホントのところは分からないんだけども。

 

おわり。
ご覧いただき、ありがとうございました。

 

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*1:もちろんそんな意図はないだろうけど