楽しいことがあり過ぎる

楽しいことがあり過ぎる

健康な体があればいい

『卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)』の摘出手術を受けた。

 

『卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)』の手術を受けるために入院するまでのこと。

前回に引き続き、今回は入院と手術について。入院中の出来事をメモアプリに記録しておいたので、それらを再編しつつ書いていきます。今回もグロい表現があったりするので苦手な方はご注意ください。

 

 

・7月21日(日)入院1日目/手術前日

9時半頃、病院到着。10時前に病室に案内される。10時過ぎ、ようやく看護師さん到着。1時間ほど入院と手術に関する説明を受けて、病棟内の案内を受ける。その後、付き添いの母親が帰宅。自販機でお茶を買おうとしたところ小銭が200円ちょっとしかないことに気づき焦る。院内の自販機は1000円札しか使えず、わたしの財布には5000円札が1枚入っていた。

12時、昼食。不味くはないが、美味しくもない。魚の身が歯に挟まって不快。歯磨きをしても取れない。デンタルフロスを持ってくれば良かったなぁ……と後悔。歯磨き後、ベッドにてゴロゴロする。普段よりトイレが近い気がするのは環境が変わったことが少なからず影響しているのか、それとも病気の影響なのか……。
隣には高齢の女性。独り言が多く「夜間もこの調子だとしんどいなぁ」とやや不安になる。

17:40頃、夕飯。味噌汁がない。おかずの油淋鶏が美味しかった。お浸しがめちゃくちゃ冷やされていて驚く。18時過ぎからシャワーの予約を入れていたのでさっさと食べる、やはり味は微妙。

18:05、シャワー室へ移動。ボディーソープがないことに気づく。仕方がないので洗顔料で全身を洗う。手早く済ませて、その後ドライヤーで髪を乾かし入浴完了。病室に戻りモヤさまを見る。久しぶりの大江麻理子アナウンサー(今はキャスターですが)、やはりとても良い。
19時頃、隣の年配女性の元にご家族が面会に来た。恐らく息子さん夫婦と思われる。20分ほど滞在していた模様。
20時、面会時間終了。看護師さんが病室窓側のカーテンを閉めに来る。モヤさまも終わったのでテレビを消して読書。以前読んだ星野源「いのちの車窓から」を再読。
隣の年配女性はやはり独り言を呟き続けている。キツい。
21時半消灯。夕食後に眠剤と胃酸を抑える薬を処方される。暗くなった病室でしばらくは目が冴えていたが、22時過ぎには眠りについていたと思う。

 

 

・7月22日(月)入院2日目/手術日当日
7時頃起床。朝から絶食。手術前の点滴を受ける。看護師から11時に手術室に向かうように伝えられる。朝食を食べなかったこともありお通じはなし。
10時過ぎ、外来の診察室に向かうように言われ点滴のまま診察室へ向かう。外来診察室にて術前の触診、嚢腫の位置とサイズを再度確認。その後、病院事務局にて入院手続きをしていた母親と合流して病室に戻る。病室にて術着と弾性ストッキングを履く。弾性ストッキングとは術中術後の静脈血栓を予防する効果があるらしい。
11時、手術室に歩いて移動。手術室に入ると麻酔医1名と担当医2名から挨拶される。名前や簡単な質問に応え、手術台に仰向けになる。酸素マスクをし、その後何度か深呼吸をするように言われる。次第に意識が朦朧としてきて、ブラックアウト。

 

麻酔医から名前を呼ばれ目覚める。恐らくこの時点ではまだ手術室にいた。血圧が高い旨を伝えられる。意識がぼんやりとしていたものの「治療が必要なレベルだねー」と言われたことは覚えている。病室に戻った過程もぼんやりと記憶にある。手術室から病室に戻ってしばらくは、とにかく寒くて寒くて仕方がなかった。歯がガタガタと音をたてるような震えが止まらなくなり、電気毛布と布団を掛けてもらい暖をとる。しばらくすると寒さは引いたが、代わりに体中の熱に苦しめられた。あまりにも暑いので、付き添っていた母親に「暑い」と訴える。母は、わたしのおでこに手のひらをあてて「アンタ暑いって言ってるけど、おでこは冷たいよ」と言ってきた。そんなこと知らんがな、わたしは暑いんじゃい!!!!と思うものの、全身麻酔の影響でまだぼんやりしているし酸素マスクは付けられているしで答えられるわけもなくガン無視を決め込む。
その日の夜は酷く暑く、汗が止まらなかった。術後の熱のせいだろう。両脚には弾性ストッキングの上から血栓予防の装置が付けられていた。それが酷く不快だった。
氷枕を数回変えてもらうが、体の熱さは引かず額の汗が止まらない。なかなか寝付けないまま、とにかく夜を長く感じた。
夜中、何度目かの点滴。右腕から高血圧を抑える点滴をしていたため、痛み止めと抗生剤の点滴を左腕からとることに。しかし生来の血管の細さが影響してなかなか注射が成功しない。最初の看護師さんに左腕を4回、右腕を1回うたれ全て失敗に終わる。何度も謝られてこちらが申し訳ない気持ちに……。その後に別の看護師(男性)さん、「血管が出にくいそうですね、聞きましたよ看護師泣かせって〜」とチャラめの登場。再度、左腕にトライして成功。「元々血管が細いので針は血管に刺さってますが、点滴を落とし始めたら薬剤が血管の壁に当たって痛むかもしれない」との説明を受ける。
その後、別の看護師さんが来て点滴を落とし始める。やや痛みを感じるが、先ほどの説明があったので流れに身を任せることにする。落とし始めてすぐに看護師さんが「これ漏れてるかもね」と。一緒に見回りに来ていた看護師さんにも「うん、漏れてますね、腫れてますもんね」と言われる。ということでチャラ看護師さんも失敗に終わる。
その後、第3の看護師さん登場。何だかんだ試行錯誤の末、やっと成功。無事、痛み止めの点滴を落とし始める。
病室内には時計はなく、もちろんスマホを確認することもできず、いったい今が何時なのかが全く分からない状況。それがとにかくストレスだった。眠れないまま、体の熱や動かせないせいで痛む背中・両脚を疎ましく思いながら「早く朝になってくれ」とひたすら願った。

 

 

・7月23日(火)入院3日目/術後1日目
明け方に採血。案の定、注射が入りにくく何だかんだと試行錯誤の末、左手親指の付け根から成功。
朝、ひと晩中不快感に苦しめられた血栓予防の装置を外してもらえる。その後、午前中に術着からパジャマへと着替える。看護師さんの助けを借りつつも比較的自力で着替えられたことで看護師さんに褒められる。着替えと同時に尿管を外される。呼吸を吐き出すタイミングで管を抜く、とのアドバイスのもと看護師さんと息を合わせて共同作業。術前に生理になっていたので、生理用ショーツに履き替える。
ドレナージ(体内の液体を体外に排出するための管。今回の場合、右脇腹から管が出て、握りこぶしくらいの大きさのボールに血液が混ざったような体液を排出させていた)は付いたままで、両腕に点滴をつけた状態となる。昼食から全粥食開始。「昼食を半分以上食べれば点滴外れるよ」と看護師さんに言われていたので必死に食べる。おかずとフルーツ、お味噌汁は残したがお粥は完食した。
その後、尿管を外してからはじめての尿意を催す。とにかくベッドから起き上がる際に痛みがひどい。起き上がるだけで汗が噴き出てくる。トイレに行くたびに尿量を測るようにと言われる。この全身の痛みを抱えた状態で排尿できるかどうかも分からないのに、そんなミッションも課せられるなんて……、病院って容赦ない。トイレに向かう途中で経血が脚を伝う感覚を覚える。到着してパジャマの下衣を脱ぐと、案の定経血まみれの下半身。1人ではどうにもできないのでナースコールで看護師さんを呼び出す。助けを借りて、着替え、病室に戻る。術後の出血を疑われたが、血の状態から生理によるものと判断された。ひと安心。
朝、昼、夕、就寝時、深夜、と計5回の痛み止めを点滴。
夕方、母親が見舞いに来る。
夕食、半分くらい食べる。だいぶ体も動くようになってくる。ドレナージがなかなか取れず不快だった。
21時半消灯。前日と比べ暑さや痛みもほぼ感じずぐっすり安眠。良かった。深夜2回ほど目が覚めたが朝まで眠ることができた。

 

 

・7月24日(水)入院4日目/術後2日目
6時頃目覚める。朝の体温と血圧の測定。
7時半過ぎに朝食配膳。食パン2枚と牛乳、サラダなど。便通を促したかったので完食する。看護師さんがやってきてドレナージで排出された体液を回収し液体の量を測る。
担当医の都合がつかないのでドレナージを外すのが明日になる旨、そのためシャワー浴ができないことなどが伝えられた。便通がないことを伝えると整腸剤を処方してもらえるように手配してくれるとのこと。
10時過ぎ、看護師の方がやってきて、急遽、担当医に時間ができたのでドレナージを抜いてもらえることに。診察台に横になり、数分で処置終了。少しの痛みと今まで経験したことないような違和感。確かに何かが体内から抜けていく感覚を覚える。患部にガーゼを当ててもらい病室に戻る。他、二箇所の傷口からはガーゼが外される。傷口はどちらも1cm程度であまり目立たない。シャワー浴の許可が出たので夕方に予約を入れる。

11時半頃、昼食。お腹が張っているため半分ほど残す。

午後は読書と少しのワイドショー鑑賞。

夕方、母親が見舞いに来る。その間、術後初めてのシャワーへ。傷口に気を遣ったが特に痛みなども感じなかった。また、ドレナージ部分もガーゼを外して入浴するよう言われており「数時間前まで管が通っていたのに、そんなことして大丈夫なのかよ!?」とビビっていたが、こちらも問題なく事を終える。少しの雑談の後、母親帰宅。
19時頃、夕食。半分ほど残す。看護師さんから整腸薬を渡され、夕食から毎食後飲むように言われる。
21時半消灯。
暗闇の中、22時から「水曜日のダウンタウン」を観るが、笑うと患部が痛むため断念。その後しばらく寝付けない。仕方ないのでネットサーフィンに興じる。深夜3時過ぎ、ようやく眠りに就く。

 

・7月25日(木)入院5日目/術後3日目 
5時過ぎ、看護師さんが検温と血圧測定にくる。5時半過ぎには採血にも来る。昨夜は寝るのが遅かったので半分眠りながらの対応。どうやら採血は1発で決まったらしい。
7時過ぎ、1階売店まで行ってみることにする。ちょうど病院職員の来院時間と被っていたらしく、多くの病院関係者と思われる人々とすれ違う。売店では牛乳、お茶、ミネラルウォーターを購入。
7時半過ぎ、朝食。完食する。さらに便通を促す目的で先ほど買ってきた牛乳を飲む。
朝食から30分ほどでようやく術後初めてのお通じ。
10時頃、外来診察室で退院前診察を受診することに。触診とエコー検査で手術した卵巣と、現存する子宮筋腫を確認する。退院OKとのことで明日午前の退院を希望する旨を伝える。8月に、摘出した腫瘍の病理検査結果を聞きにくることになった。
11時半過ぎ、昼食。ほぼ完食。
昼食後から昼寝。寝不足気味だったので熟睡。
16時頃、母が見舞いに来る。少し話したあと、1階で待つ父の元へ。10分ほど雑談。
17時からシャワー入浴を済ませて17時半過ぎから夕食。入院生活最後の夕飯メニューはアジフライ。少し残してしまった。
就寝まではTVerでマツコ有吉のかりそめ天国とロンハーを見る。宮下草薙の草薙が面白すぎて笑ってしまい、若干下腹部が痛くなってしまう。
少し休憩の後、テレビでアメトーークを見る。笑い防止のため無音で見るものの、やはり笑ってしまいそうなので途中で断念。日付が変わった頃に眠りに就く。 

 

 

・7月26日(金)入院6日目/術後4日目
6時頃に看護師さんが検温と血圧測定に来て目覚める。まだ少し寝足りない。
7時起床。今日は退院なので少しずつ荷物を整理しながら着替え、洗顔を済ませる。
7時半過ぎ、ZIPを見ながら朝食。すべて食べる。食後少しして便意を催す。術後から飲み続けていた薬の効果もあり、ようやくスッキリした。

11時過ぎ、全ての荷物を片付けたのち、支払いを済ませ無事退院。入院費用は約20万円となった。

 

 

・7月31日(水)術後9日目となる本日の状況。

傷口の痛みはだいぶ軽くなってきている。ただし体内の違和感、特に下腹部内部の違和感が取れるまでにはまだまだ時間が掛かりそうだ。時に突発的な痛みを覚えるときもある。排尿・排便時の引き攣るような体内の痛みは強く、力むことはできない。絶対にそんなことは起こらないと思うけど、傷がパーーン!!!!と破裂するのではないかという恐怖に怯え、満腹になることへの抵抗感がすごい。そもそも入院中からの食事制限の影響で胃が小さくなったのか、食べる量が減った気がする。退院後から毎日血圧を測定しているが、今のところ標準なので良かった。もともとは高血圧気味だったが、食生活を改めたからかもしれない。ちなみに度重なる失敗で注射跡だらけになった両腕は、皮膚内の内出血がひどく、黄疸のようになったり青アザっぽく変色していたり、なかなかホラーな見た目になっている。なぜか変色部分の皮膚は日焼け後のように薄皮が剥けてきていて「新陳代謝とかと関係あるのかしら?」などと考えているのだけど真相は不明だ。

術後1週間後には復職する予定だったが、痛みなどの不安もあり追加で1週間休みを貰った。体力の衰えがすごいだろうなぁ……とやや不安。ウォーキングでもしてみたいけど、連日の暑さでなかなか行動に移せないまま日々を過ごしている。今週に入ってからの体調の回復具合が思ったよりいい感じなので、金曜日に出勤してみようかと思っている。

 

 

今回の入院・手術を経て健康であることの素晴らしさを痛感した。藤原基央が『HAPPY』という楽曲で歌うように「健康な体があればいい 大人になって願う事」ってほんとにその通りだ。特に術後の晩の辛さはもう二度と経験したくない。今までは「健康健康って言ったって人間いつか死ぬし……」とか思っていたけど、いつか死ぬその日までは元気で過ごすほうが幸せだし、何より健康であることは心身ともにストレスがない!!!!ということを思い知ったので。誰だって可能な限りノンストレスな日々を送りたいだろう。わたしだってそうだ。ノンストレスな毎日を送るために、健康には気を配っていきたい。退院後すぐに『胡麻麦茶』をアマゾン定期便で購入した。当面は高血圧に注意します。

手術を含む1週間の入院生活は様々な発見もあり、経験としては貴重なものとなった。手術による痛みや不快感については二度と経験したくはないけど、入院生活自体は想像よりもずいぶん快適だったように思う。看護師さんも皆さん良くしてくださり、改めて医療従事者の方々への尊敬の念が強くなった。仕事とはいえ、彼らは偉大だ。

とにかく大騒ぎとなった2019年の7月は忘れられない1ヶ月となった。8月の病理検査の結果が出るまで不安がないといえば嘘になるけど、まずは来週に控えるThe Birthdayの対バンに向けて体力回復を頑張ろうと思う。

 

おわり。

 

▼術後1年経過してみてのことを書きました。

『卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)』の術後1年が経った。 - 楽しいことがあり過ぎる

 

 

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