楽しいことがあり過ぎる

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健康な体があればいい

『安藤忠雄展 ー挑戦ー』に行ってきました。

束の間の無職期間*1にやりたかったことを着々とクリアしていく毎日を送っている。そして昨日、滑り込みで国立新美術館で開催中の『安藤忠雄展-挑戦- 国立新美術館開館10周年』に行ってきた。

 

国立新美術館は今まで2回ほど行ったことがある。今回は六本木駅から向かったのだが、何度行っても六本木特有の「THE都会」な雰囲気に馴染めない。完全に負けてしまう。田舎者なのだから何も恥ずかしがらずに堂々と田舎者らしい振る舞いをしていればいいものを、妙にカッコつけて駅の案内表示なんかをまじまじ見ることに抵抗を感じてしまう。キョロキョロしていたら白い目で見られるのではないか、とか無駄な自意識が働きまくってしまう。とはいえ、そこは平日でも観光客で溢れかえるギロッポン。そこら中に案内表示があり、まるでウィンドウショッピングを楽しむふりをしてナチュラルにアクセスをチェックでき、特に迷うこともなく到着できました。

 

 

安藤忠雄に関してはそこまで細かな知識を持ち合わせていない。

大阪人だということと、独学で建築を勉強したということと、事務所が自身の設計した面白い建物であることと、彼の建築事務所に入社するような人は東大卒系の高学歴である、というような感じ。全て情熱大陸などのドキュメンタリー番組で得た知識だ。

そんなわたしが今回の安藤忠雄展にどうしても行きたかった理由は、彼の代表作でもある『光の教会』の1/1スケールのレプリカが展示されていると知ったからだった。あの礼拝度内に射し込む自然光による十字架を生で見られるらしい。しかも原寸大で。これはもう行くしかない。ぶっちゃけそれ以外の展示についてはどうでも良いとすら思っていた。わたしの目当ては『光の教会』ただひとつ!!!!!

 

 

 

光の教会』感想。

本当に行ってよかった。わたし、別にクリスチャンでも何でもないけど、心がスーッと洗われる感覚というか何というか。今まで宗教とかピンと来なかったんだけど「もしかしたら宗教ってこういう存在かもしれない」とすら思えたくらい不思議な感覚に襲われた。何であんな感覚になったのか良く分からないんだけど、とにかく涙が止まらなくなった。

 

光の教会


 

会期終了が迫っているので、平日にも拘わらず館内はまぁまぁ混んでいた。『光の教会』は全展示物のちょうど真ん中あたりに展示されていたと思う。途中、外に出る用のドアがあり、美術館内の敷地(外)に原寸大のレプリカが建てられているといった感じ。教会自体は決して大きくはないので内部もそこそこ混雑していた。おそらく30人くらいいただろう。コンクリート造りで、入って正面(奥)が祭壇となり、その壁には十字のスリットが入っている。そこから外部の光が射し込むことで十字架が浮かび上がる、といった設計だ。礼拝堂内の床は祭壇に向かって階段状に下がっていく構造になっていた。木造のベンチが4列くらい設置してあり、来館者が好き好きに座っていいようになっている。まずは立ったまま何枚かの写真を撮った。そこそこ人が多いので、どうしても誰かの後頭部が写り込んでしまうのがやや残念。せっかくなので設置してあるベンチにも座っておこうと人の隙間を縫って前にガンガン進んだ。来館者の多くは写真を撮って引き返してしまい、ベンチに座る人はそこまで多くはなさそうだった。

前から2列目のベンチに座り、光の十字架を眺めた。「やっと見られた」とか思っていたら、みるみるうちに涙が溢れてきてめちゃめちゃに泣いてしまった。念願のそれを見られた喜びもあったけど、それだけじゃなかったと思う。じゃあ何かと言われても良く分からない。でも何か体中からスーッと抜けていくような感覚を覚えた。とっても不思議な感覚だった。そのまま5分くらい座っていたと思う。ただ、そのスリットから見える光をボーっと眺めていた。何が見えるとかあんまり意識せず、ただ、その光の十字架を眺めていただけの時間だった。

ただそこにいるだけで自分を顧みるような、何かをリセットできるような空間ってわたしには思い当たる場所がないのだけど、例えばクリスチャンの人が教会に足を運ぶ意味とか、そういったもののヒントがあの時の感覚にあるのではないか、と漠然と思った。「宗教がある人は心を強く持っていられる、何か困難に襲われたときに支えとなるものがあるから」みたいな話を何度か聞いたことがあって、今まではその感覚は1ミリも理解できないと思っていたんだけど、何となくその感覚が分かりそうな気がした。もし、あの光の教会が近くにあったら、きっとわたしは何度も足を運ぶだろうなー、と思う。キリスト教がどうとかっていう話ではなく、わたしにとってはあの礼拝堂そのものが支えになり得る可能性を持った場所に思えた。

自然光によって浮かび上がる十字架は時間によってさまざまな表情を見せてくれるらしい。夕方や夜の礼拝堂内にも行ってみたいなぁ、と思う。どの時間もきっと素晴らしい。

 

光の教会外観

 

 

光の教会』以外の展示について。

彼の手掛けてきた数々の建築が模型や映像、設計図で紹介されていた。それぞれ簡単な文章でコンセプトが記されていて、どれもじっくり読み込んでしまった。建築物にさほど明るくない人間ですが、コンセプトなどを合わせて提示されることで非常に興味深く鑑賞することができました。建築物そのものを見ることは不可能だけど、それらを補完する役割として短い映像がそれぞれの展示物に用意されていて有り難かった。図面や模型からはくみ取れない情報をいい感じにフォローしてくれていたと思う。

安藤氏は国内の一般の住居も数多く手掛けていて、どれもコンクリート打ちっ放し系の安藤忠雄っぽさに溢れていた。どう見ても「住みやすそう」とは思えなかったのだけど、ご本人も館内の案内文で「自身の設計した住居は住みやすいとは思わない」的なことを仰っていたので笑ってしまった。住居に合わせた生活スタイルの提案、といった感じだろうか。

ゲスい人間なので「設計料とかどれくらい掛かるのだろうか」などと金のことばかり頭に浮かんでしまった。作品概要の部分に所在地が記されていたのだが「芦屋」とか書いてあるものも多く「なるほど…」と妙に納得してしまった。

実際に住まわれている方々は全国から安藤忠雄ファンが見物に来たりして困っていたりしないのだろうか、と無駄に心配になったりもした。

 

とにかく情報量が多い作品展だったので見終わるころにはくたくたになってしまった。2時間ちょっと滞在していただろうか。外に出たら真っ暗になっていて驚いた。『光の教会』に入った頃はまだ明るかったのに。

 

 

国立新美術館そのものもとても美しい建築物なので記念に写真を撮ってみた。黒川紀章の設計だと知ったとき、わたしは彼を政治活動もしている一風変わった建築家としてしか認識していなかったので「こんなに凄い建築家だったのかよ」と驚いた。

 

国立新美術館

 

帰りに新宿の伊勢丹によって折り財布を物色してきた。ネットで見つけたモデルは数年前のものらしく今は販売していないという情報を得た。誠に残念である。せっかくなので気になった商品をショーケースから出してもらい触ってきたのだが、どれもピンと来なかった。新宿駅がどんどん巨大化していってる気がするのは気のせいだろうか…

 

本展は12月18日までの開催です。もし気になる方がいるなら頑張って時間を捻出し、ぜひとも足を運んでほしい。後悔はしない、と思う。 

 

 

おわり。

ご覧いただき、ありがとうございました。

 

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*1:厳密には有給休暇消化期間なので無職ではないけど